第六話 3度目の無一文

2回目の無一文で大ピンチとなった僕は、
金融時代の先輩に救われ、
それなりに復活出来たとともに、
800万近い現金を手にしていました。

1999年、僕が34才になる年の話です。

 

この時点ですでに
2度も無一文転落を経験している僕ですので、
普通であれば、もうバカなことはしない・・・
はずですよね。

「普通」なら。

 

ところがピンチから脱出して
完全に「一息ついた」僕の元へ、
ある大きなワナが待ち受けていたんです。

それは『株式投資』でした。

 

当時はITバブルと呼ばれる
ちょっとした株式投資ブームだったんです。

僕が特に心惹かれたのは、
『インターネット証券』の登場でした。

既にインターネット証券事業を
開始していた松井証券に加え、
「マネックス」や「日興ビーンズ証券」あたりが、
これでもか!と言うくらい宣伝をしており、

もともと「経済」には一定の興味を持っていた僕でしたので、
瞬く間に洗脳されてしまいました。

「株は儲かる!今やらなきゃアホだ!」
みたいな(苦笑)

まぁ結局のところ、
「アホ」は僕だっていうオチになるのですが、
それでも口座開設当初は、
面白いくらいに勝ち続けました。

 

当時の僕は
良く言うと「ファンダメンタルズ派」でして、
業績が今後安定、または一気に伸びそうな銘柄を
適当に仕込んでは中期保有するスタイルがメインでした。

僕は野球ゲームが大好きなのですが、
当時、コナミとナムコをいう2大メーカーがあった中、
こと野球ゲームに限っては、
コナミのソフトが圧勝となったタイミングがあり、
そこで同社の株を買い、数か月後に3倍になる・・・
なぁんてこともありましたね。
(今考えれば凄い買い方です・笑)

で、、、
買えば騰がる僕の投資法に対し、
僕自身「オレって天才♪」みたいな。

もうこの時点でオチが見えますでしょ?(笑)

 

株式ブームが続いている最中において、
「買えば騰がる」はある意味必然でして、
増してや人気化しやすい銘柄の押し目を買えば、
そりゃ勝算も高いってハナシなワケです。

そんな折、
「信用取引」という制度を知った僕は、
迷わずレバレッジをかける投資に切り替えました。

「どうせ勝つんだから
レバレッジ効くなら効かさなきゃ損でしょ!」

この時点でもう僕のアタマの中は
『億万長者』のイメージしかありませんでした(苦笑)

 

さてさて、
そんな感じで「専業トレーダーもどき」の
活動をしていた僕だったのですが、

2000年のとある金曜日に、
アメリカの株価が大暴落した日があったんです。

某有名なキャスターがテレビで、
「週明けは日本の個人投資家も大変でしょうね」
なぁんて言っていたのですが、
その時点で僕は、
事の重大さをまったく理解していませんでした。

 

で・・・月曜日。

仕事場兼トレードルームとして借りていた事務所に着き、
パソコンを立ち上げ、
いつものようにマネックス証券にログイン・・・

ところがなぜかログインが出来ません。

 

昨今、光回線でないほうが珍しい時代だとは思いますが、
当時は「ISDN」という、
電話回線を「電話用」と「インターネット用」に
分割した通信手段が主流だったんです。

ご想像つくと思いますが、
これ・・・相当重いワケですよ。

で、マネックス証券のログインサイト自体も
ユーザーが殺到した状態だったであろうことも含め、
まったくログイン自体が出来なくなっていたようでした。

 

ちなみに少々余談を言いますと、
電話回線を分割する性質上だか知りませんが、
当時のネット接続は『ダイヤルアップ』と言って、
早い話、プロバイダーの指定番号にダイヤルをして
繋いでもらう仕組みだったんです。

もっとも実際に電話機でダイヤルをするのではなく、
そこはパソコンが自動で行うワケですが。。。

でもって、当時、
いわゆる「アダルトサイト」を閲覧すると、
このダイヤルアップ先を「Q2ダイヤル」という、
超高額な回線サービスに書き換えられるという被害が
至るところで続出していました。

え?僕??

もちろん引っかかりましたけどナニか?(笑)

 

ただ、パソコンスキルは低かった僕でしたが、
様子がおかしいことは気づくことが出来、
おかげさまで金銭的に被害を被ることなく、
もとのダイヤルアップに戻すことは出来ましたね。
(引っかかった時点で自慢になりませんけど・笑)

 

話を戻します。

ネット回線が脆弱だったことと、
そもそもユーザーが殺到していたことも含め、
僕がその日ログイン出来たのは、
なんと場が引けてからとなってしまいました。

「ふぅ~やっと入れたわ」

なぁんて言いながらサイトを見ると、
なぜか僕が持っているはずのポジションが
すべてなくなっていたんです。

いや、ポジションだけならまだしも、
口座残高までも消滅していました。

「あれ??」

 

もうお分かりですよね?

そう信用取引における証拠金不足で、
僕のポジションはすべて強制決済されていたんです。

・・・これが僕の
「3度目の無一文」転落の瞬間でした。

実にあっけなかったのを
今でもよーく覚えています。

 

不幸中の幸いとでも言いますか、
いわゆる「追い証」は大した金額ではなかったため、
二次被害が生じなかった点は、
今思えばラッキーだったかも知れませんね。

「やっちまったなぁ・・・」

「燃えカス」って言葉がありますけど、
その日の僕は一日中ソレでした(苦笑)

「さぁて・・・どうっすっかな」

無一文も早3度目。

あろうことか当時の僕は
無一文に対する『免疫』がついていたみたいです(笑)

6度の無一文の中で、
実はこの「3度目」が一番復活が早かったのですが、
それは次号で詳しくお話させていただきますね。

 

 

▼続きはコチラ
第七話 「3度目の無一文」からの復帰バナシ

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    ABOUTこの記事をかいた人


    1965年12月29日生まれ。58歳。 常勝トレーダー集団「FXism(エフエックスイズム)」の中心人物で投資歴は1998年以来の24年。 現在に至るまでの道のりは決して 順風満帆ではなく、6度の無一文を経験する。 2006年、これまでの失敗と向き合い、独自の「一泊二日スイングトレード手法」を構築。 これがきっかけとなり多額の資産を一気に築き上げることに成功する。現在は短期デイトレがメインである。