第十一話 「6度目無一文」への序章・・・

アウトロー稼業からスパっと足を洗い、
家電工事会社を立ち上げた37才当時の僕でしたが、
立ち上げ早々資金が底を尽き死にかけました。

これが「5度目の無一文」でしたね。

 

ただし、某大手家電量販店との直契約が取れるという
ちょっとした「神風」が吹いたのと、

僕が名簿屋時代の放蕩生活時、
午前3時過ぎの帰宅の際、カミさんに支払った
「罰金」の合計額160万円を
彼女が一円も手付かずで残してくれたおかげで、
社長である僕は社員たちへの給料遅配を免れることが出来ました。

これら2つの要因により、
僕の会社は何とか軌道に乗ることになります・・・

詳しくはこちらをご覧ください。

 

 

経済的には決して裕福ではないものの
けれども生活はもう大丈夫・・・ってな感じで
その後も工事会社経営は続いていきました。

けれども・・・
経営自体はなんとかかんとか無事だったのですが、
時間の経過とともに
「僕自身」が徐々に疲弊するようになってしまったんです。

 

家電工事って、
例えばお客さんが量販店で購入したエアコンや
大型テレビ、あるいはウォシュレットなどを
お客さんのご自宅に配送し、その場で設置するワケです。

お客さんのほとんどは「一般家庭」ですので、
当然工事希望日は『休日』に集中します。

また、これはまぁ僕の方針でもあったのですが、
「元請けからの仕事は絶対に断るな!」を
会社の基本方針にしていましたため、
年末年始も含め365日一日も会社の休日を設けなかったんですよ。

 

スタッフにはもちろん交代制で休日を取ってもらってましたが、
僕の休みは完全になくなりました。

世間様が休みのときこそが忙しい仕事でしたので、
春休み、GW、夏休み、冬休み・・・
こういった時期にこそ僕は休むことが出来ず、
まだ子供も小さかった中、家族サービスなどは
一切出来なかったんです。

 

たまに思い切って休みを取り、
家族で遊園地に行ったときに限って、
なぜか緊急トラブルが発生したりするんですよね(苦笑)

で、急遽帰宅し、
家族を残して僕だけが会社へ行く、みたいな。

そんな感じで約2年半やっていました。
シンドかったですね。

 

さて、
会社設立から3年目の5月頃・・・

この夏のエアコンシーズンでもしっかり稼ぎきるため、
スタッフを増強するべく
僕は新規スタッフの面接に明け暮れていました。

そんな中、正社員希望者の中に、
「将来独立志望」という切れ者が入社して来ました。

しかもその彼は親御さんがかなりの地主で、
独立資金の調達はいつでも容易に出来そうな雰囲気だったんです。

僕のアタマの中に「とある考え」が浮かびました。

それは・・・バイアウト。
そう「会社の売却」でした。。。

 

3年目のエアコンシーズンを順調な利益で乗り切ったあと、
僕は彼を呼び出してこうハナシをしました。

「独立志望だったよね?
オレは元々この業界の人間ではなく工事も一切出来ない。
最後までこの業界で全うするつもりもない。
なのでどこかの時点で会社を誰かに譲ろうと思っていたんだ。」

「イチからの独立だとオレみたいに2000万かかるし、
オマケに受注先の営業もイチからで、苦労も多いよ。」

「この会社・・・買わないかい?
スタッフも、受注先も、工具も車両も全部揃ってて、
会社の負債はゼロで単月収支は黒字、良い話じゃないかな?」

彼はほぼ二つ返事で「買います!」と。

 

ただし、エアコンシーズンが終わると、
経営的には文字通り「冬の時期」に突入するため、
翌年の3月末まで僕が経営を続け、
来年のエアコンシーズン突入直前から引き継ごう・・・

↑ここは僕の「お人好し」が全開の条件でして、
本当に買う側にとっては有利な条件だったと思います。

 

こうして2006年の3月末、
僕は会社をこの青年に売却し
経営から一切手を引くことになりました。

ちなみに売却金額は2000万円の予定でしたが、
最後の最後に僕のほうから1500万円に値下げしたんです。

僕の中では2000万用意させておき、
土壇場で1500万にすれば500万円が彼の運転資金になる・・・

自己満足ではありましたが
これが僕なりの「誠意」のつもりでした。

 

中心スタッフのほとんどは
設立当時から僕と共にシンドイ時期を過ごしたメンバーでしたので、
彼らの説得には随分神経を使いましたね。

なんたって、
「ごめん、オレ会社辞めるわ」
「え?社長が辞めるとか意味分からないんですけど??」

↑こんなやりとりでしたので(苦笑)

 

ちなみに僕から会社を買い取った
彼の「その後」ですが、
今でもその会社は存続しています。

そこは正直ホッとしています・・・が、
僕について来てくれた「創業時スタッフ」は
全員辞めてしまったようです。

彼らにとっては「僕こそが社長」だったワケで、
自分より後から入社した人間が社長になることには
相応な抵抗感があったんだと思います。

難しい話ですよね・・・

 

さてさて、
何はともあれ僕はこの時点で「自由」を手にすることが出来ました。

2006年4月・・・僕が40才のときのお話です。

 

実は会社経営の終盤、
僕は事務所で「とある準備」をしていました。

それが「株のデイトレーダー転身」への準備です。

そう、僕は会社のバイアウトで得た資金を元手に、
『専業トレーダー』になることを決めていたんです。

「身体的自由」に加え
『経済的自由』をも同時に手にするべく・・・

 

もうご想像がつくと思いますが、
ここから僕の「6度目無一文への道」がスタートします。

以下、次話へ。

 

▼続きはコチラ
第十二話 6度目(現時点で最後)の無一文

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1 個のコメント

  • 実業家としても成功してたようですが、ドテンの人生ですね。
    いよいよ最終回!?の次回はどうなるでしょうか(‘ω’)ノ

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    ABOUTこの記事をかいた人


    1965年12月29日生まれ。58歳。 常勝トレーダー集団「FXism(エフエックスイズム)」の中心人物で投資歴は1998年以来の24年。 現在に至るまでの道のりは決して 順風満帆ではなく、6度の無一文を経験する。 2006年、これまでの失敗と向き合い、独自の「一泊二日スイングトレード手法」を構築。 これがきっかけとなり多額の資産を一気に築き上げることに成功する。現在は短期デイトレがメインである。