第十話 5度目の無一文

4度目の無一文は後輩から詐欺被害に遭った僕でしたが、
後輩が僕からダマしとった金は
すべてヤミ金融の金利に溶けるという、
なんともブサイクなお話でしたよね。

で、間接的にヤミ金融から多大な損害を受けた僕は
食らった金を取り戻すべく「名簿屋」を開業し、
ダマし取られた何倍ものカネを
いわゆる「ヤミ金融業界」から取り返すことに成功しました。

 

当時は事務所に行けば前日にスタッフが回収した現金売上が
毎日数十万、多い時は100万円を超える状態だったため、
すっかりお金の使い方が荒くなっていました。

お酒を飲みにいくと朝帰りが当たり前で、
そんな僕に業を煮やしたカミさんが、
「午前3時を過ぎて帰宅したら罰金10万円!」
というルールを作ったんです。

朝帰りの際は、
毎回現金で10万円渡していたのですが、
ちなみにルール施行から
約1ヶ月半で160万円貯まりました(苦笑)

 

で、僕のほうはと言いますと
「貯蓄」は一切していなかったのですが、
遊ぶだけ遊んで、それでも財布に残った
「使い切れなかったお金」を銀行に入れておく
・・・というスタイルで、
名簿屋をやっていた約一年間のあいだに、
僕の普通預金口座は残高が2000万円になっていました。

 

ちょうどその頃、
テレビの報道番組で「ヤミ金融問題」が
毎日のように流れるようになったため、
『ここが潮時』とスパっと足を洗うことにしたんです。

参考までに僕が名簿屋を畳んだ数ヶ月後に、
「まだまだ儲かるから」と仕事を続けた知人が
『ほう助罪』で逮捕され、テレビのニュースで
顔出しで報道されたのを見て、
辞めたタイミングは悪くなかったと胸をなでおろしたことは
今でも印象に残っています。

僕は
「もうアウトローな仕事は一切卒業しよう」
ここだけは心に決め、次なるビジネスを模索することにしました。

 

そんな時、
カミさんのいわゆる「主婦仲間」の一人と
家族付き合いが始まったんです。

そこのダンナさんは
毎日釣りに行ったり別荘に行ったり、
要するに遊んでばかりの人でした。

どうやら会社経営をしているようなのですが、
けど会社にも滅多に行かないような不思議な人だったんですよ。

当然興味が湧くじゃないですか?
増してや僕、
その時点で「プータロー」だったからなおさらです。

 

「一体どんな会社なんですか?」と僕が聞くと、
どうやら家電関係の工事会社を経営しているとのこと。

「こう言っちゃなんですが、
社長のアナタはいつもプラプラしてますよね?
そんなに儲かるんですか??」

すると、
「あぁ、楽勝ですよ!及川さんもやります?」

僕:「僕は工事経験一切ないけど出来ますかね?」

ダンナ:
「僕も一切出来ないけど、スタッフ使えば余裕ですよ」

なんか、これを書きながら今気づいたのですが、
2度目の無一文の時と展開が似てますよね(苦笑)

 

で、元手資金の話になったのですが、
「職人の移動用工事車両、工事道具、事務所、などなどで
合計300万くらいかなぁ・・・」

僕:「え?300万円の元手で毎日プラプラ出来ちゃうんすか?」

・・・バカ丸出しです(笑)

 

で、早速僕は工事会社を設立することにしました。
ホント・・・よせばいいのに。

 

2002年から2003年に移行する直前、
僕が37才になろうとしていた年末あたりのお話です。

まずは資材を置ける倉庫付きの事務所を借り、
駐車場を5台分借り、
その流れで求人広告を打ち、
新規スタッフの面接をするところからスタートしたんです。

 

ちなみに家電、特に「エアコン工事」は
経験のある職人でないとすぐには出来ないと聞いていましたが、
僕はエアコン経験者は一人だけにし、
残りはエアコン工事以外の職人を採用することにしました。

理由は当時の「エアコン職人」って
40才代以上のこう言っちゃなんですがクセのある人が多く、
当時まだ30代の僕にとっては
正直扱いにくいと言う気持ちがあったんです。

なにせ工事のことを何も知らない僕ですので
都合よく言いくるめられるのを
避けたかったという気持ちも強かったですね。

 

で、結局僕と同じ年のエアコン職人一人、
その他は全員20代のエアコン未経験者4名、
あとは事務スタッフのアルバイト女性一名。

以上のメンバーで会社がスタートしました。

 

あとは仕事を受けるだけ・・・だったのですが、
ところが、思うような受注を取ることが出来ませんでした。

いや、単価の安い仕事はいくらでも受注できたのですが、
経営的には「やれどもやれども赤字」という状態だったんです。

 

会社が立ち上がったのは年初の真冬でして、
勝負は初夏以降の「エアコンの季節」だと思っていた僕は、
ここは我慢だなって、辛抱の日々を受け入れることにしました。

 

ちなみに会社立ち上げの時点で
かかったお金は1000万を超えていました。

例のダンナに電話をし、
「初期資金は300万くらいって言ってましたよね?」
と僕が言うと、

ダンナ:
「あ!ゴメンゴメン、オレのときはそういえば全部で2000万かけたわ」

僕:「・・・(マジかよ:汗)」

 

最初から「2000万」って聞いていたら、
絶対やってなかった僕でしたが、
もう後には引けません。

やれどもやれども儲からない仕事、
されど「経験」にはなる仕事を
若手スタッフにしこたまやってもらう間に、
僕は夏場に向けたエアコン工事の受注営業に走りました。

 

ある月末の定例会議の際、
僕がスタッフ全員に向けて
「なにか仕事してて不都合なことある?」って
聞いたことがあったのですが、

僕と同じ年の「エアコン経験者」が調子に乗って、
「おい!給料もっと上げてくれって言ってみろよ!」
と若手スタッフに言いやがったんです。

僕はカチンときて、
そいつに言いました。

「あれ?あなたは月給いくらでしたっけ?」

※ちなみにそいつには35万円出していました。

僕:「へぇ~35万円かぁ、いいなぁ」

そして続けざまに

僕:「俺の給料毎月マイナス150万円なんだよ、
アンタ俺より185万も給料高いじゃん!羨ましいわ!」

・・・これ以降、スタッフから
給料の件でクレームは一切なくなりましたね(笑)

 

ちなみに「毎月マイナス150万」は本当の話でして、
僕の預貯金はみるみる減って行き、
5月の時点でほぼ底をついてしまいました。

これが僕の「5度目の無一文」です。

ただし今回の無一文はここでは終われません。

 

事務所その他の家賃やコピー機のリース代・・・
そもそもスタッフの「給料」が月末には発生します。

『自分や自分の家族のことだけで済まない』という意味で、
僕にとってはこの
「5度目の無一文」が一番シンドかったように思います。

※得意の「キャッシング枠」は名簿屋の時点で
さすがにもう必要ないと思いすべて解約してしまっていました。

 

時を同じくしてその5月・・・

僕のそれまでの営業が功を奏し、
ある大手家電量販店と
エアコン工事受注の契約を取ることに成功しました。

「地獄に仏」とはまさにこのことです。

そこの量販店は最も下請けに手厚い会社として
業界内でも有名な会社でした。

当然工事代金などの条件も他とは比較にならないくらい、
要するに「儲かる受注先」だったワケです。

さらには家電工事の場合、
現場で生じる追加工事代金は「現金収入」でしたので、
お金の工面も一気に楽になることは分かっていました。

ですので、まさにここから訪れるであろう
「エアコンシーズン」をバリバリこなせば、
僕の会社が一気に立ち直れる可能性は充分でした。

けど・・・もうお金が残ってなかった。

 

僕は会社経営者が絶対やってはいけないのが
「給料の遅配」だと思っていましたので、
本当に途方に暮れてしまったんです。

当時の僕はろくに睡眠を取ることも出来ず、
まさに「フラフラ」な状態でした。

『逃げたくてもそれすら出来ない』
『いっそ死にたいわ・・・』

 

するとそんな僕に、
カミさんが「あるもの」を手渡して来ました。

「これ・・・使っていいよ」
「これあればスタッフさんの給料払えるんじゃない?」

「あるもの」の正体は預金通帳でした。
そして通帳の残高は160万円。

そう、名簿屋のとき、
僕が朝帰りするたびに現金で10万円ずつ渡していた“罰金”を
預金していた通帳だったんです。

 

当時、この罰金がスタートしたのは
家庭を顧みずに遊んでばかりの僕に対し、
「そんな勝手なことばかりするなら私にだって自由に遊べるお金を頂戴よ!」
という彼女のセリフがきっかけでした。

ですので、当然このお金は残っていないものと
僕は思っていたんです。

けれどもカミさんはこの金を
一円たりとも手を付けず残していたのでした。

 

こうしてその月のスタッフの給料は
なんとか遅配することなく支給することが出来ました。

そしてこのあと、
遂に到来したエアコンシーズンで
僕のスタッフ達は「これでもか!」と言うくらいの
仕事量をこなしてくれ、
おかげで会社のキャッシュフローは
潤沢とまではいかないまでも充分回せるまで回復するに至りました。

 

結果的に僕の「5度目の無一文」は、
ほんの数日の出来事で済んだことになります。

なんとも出来た女房?
それともなんともダメな亭主?

あなたのご感想はいかがなものでしょうか。

 

追伸:
ここまでの苦労をカミさんに対してかけた僕。
どう考えたって「6度目」などあってはなりませんよね?

けど・・・あるんです、6度目(苦笑)

 

以下、次話へ続きます。

 

▼続きはコチラ
第十一話 「6度目無一文」への序章・・・

あなたをデイトレードの天才にする無料「及川式FX講座」

一度使ったら手放せない!FXism及川圭哉愛用のインジゲーター
『FX天才チャート』無料プレゼント!&デイトレ講座付き!

及川圭哉のYOUTUBEでお馴染みの「FX天才チャート」 この最強のトレード環境をスペシャル入門バージョンとしてパッケージングしたインジゲーターを無料プレゼントいたします!
あなたも及川圭哉と同じチャート環境でトレードができるこのチャンスをお見逃しなく!
FXism公式ライン@に登録して数々の億トレーダーを生み出した奇跡のツールを今すぐ手に入れよう!

特典ゲット

1 個のコメント

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

    ABOUTこの記事をかいた人


    1965年12月29日生まれ。58歳。 常勝トレーダー集団「FXism(エフエックスイズム)」の中心人物で投資歴は1998年以来の24年。 現在に至るまでの道のりは決して 順風満帆ではなく、6度の無一文を経験する。 2006年、これまでの失敗と向き合い、独自の「一泊二日スイングトレード手法」を構築。 これがきっかけとなり多額の資産を一気に築き上げることに成功する。現在は短期デイトレがメインである。