第1話「相場の大変動に翻弄される一般投資家」

ポーカーをやり始めて 20 分たってもまだ誰がカモかわからない人は、自分がカモなのだ
ウォーレン・バフェット

2020 年、新型コロナウイルス感染拡大に伴い各国は国境を閉鎖し経済が縮小
未曾有の世界危機への対応により各国政府と中央銀行は財政拡大及び金融緩和策を即座に実施。

その結果、各国はインフレとなったが各国中央銀行は新型コロナウイルスという未知のウイルスの影響を測りかね金融緩和を継続
その後、いよいよインフレが看過できないレベルに達した時、ようやく金融引締めに舵を切った

短期金融市場は、米国の中央銀行にあたる FRB が金融引締めに舵を切った事を確認し、速やかにドル買いという行動に出る

新型コロナウイルス感染拡大前、そしてその後の 2 年間
「一定の値幅」を保っていた為替相場は値幅の拡大を余儀なくされる

その「一定の値幅」に慣れていた一般投資家は
「もう高いだろう」と逆張りでドル売りを開始した…

それまでドル円相場は 120 円台が目処とされていた

今では懐かしい、日本政府・日銀が連携を取って行った異次元緩和、所謂アベノミクスによる株高・円安でもドル円は 120 円台に定着できず、FRB がゼロ金利から 1%や 2%の政策金利に引き上げた程度では目処である 120 円前後が天井だと誰もが思い、そのレートに近づくにつれドル円を売った

だが、FRB は引き締めの手を緩めない
引締めが後手に回った感は否めなく、その遅れを取り戻すかの様に、異例とも言える一回の FOMC で 0.75%の利上げ(通常の 3 回分の利上げとなる)を何度も行った

だが…日銀は動かない
長らく賃金・物価が上がらなかった日本では、消費者に配慮した経営が是となっており「値上げ=悪」という同調圧力に抗える企業は皆無だった、そのためモノやサービスの価格がまだ上がり難く、当時の日本のインフレ進行は他国よりかなり緩やかだった

結果は…125 円、128 円、130 円、135 円とドル円レートは上に進む
この位から政府・日銀からの為替介入が市場で囁かれ、連日政府・日銀の要人から「投機的な円売り」に対し牽制が入る、だがドル円レートの高騰は止まらない

その後も 140 円、143 円と円安は進み、一般投資家の「もう高い」天井だろうという思惑のもと、ドル円の売りは継続される。

その時、多くの一般投資家は「どうせあり得ない」レートとして、ドル円売りポジションに対し節目の 145 円にロスカットを置いていた。

9 月 21 日の NY タイムにドル円は 144.60 円台まで買われるが叩き落とされる
胸を撫でおろす一般投資家

だが、ドル円はしぶとかった
翌 9 月 22 日、この日は日銀の金融政策発表があり、その後の総裁会見でもドル円レートへのけん制はそこそこに終った

ドル円は寄り付きから堅調に推移し、日銀の金融政策発表とその後の会見でサプライズが無い事を確認すると、再び高値を試しに掛かり一気に節目の 145 円を上抜け 145.30 円まで高値を伸ばした

この段階で既存の一般投資家のドル円売りポジションは殆どが一掃された

そしてまた、やはり一瞬で叩き落とされ 145 円定着ならずと見えた直後
今度は「天井なのであろう」と、一般投資家は 143 円台後半で安値売りを仕掛けた

ところがドル円は乱高下の後、結局最後には 145.80 円台まで上昇を記録。

当然、タダでさえ 145 円到達時のロスカットで相当なダメージを負っていた一般投資家のポジションは、その後の更なる 2 円の逆行に耐えられる訳も無く 145.80 円に到達した時点でポジションがほぼ建っていない無い状態となっていた

そしてその後、その一般投資家のドル円売りポジションの一掃をあざ笑うかの様に

日本政府・日銀による 24 年振りの為替介入が実施された

ドル円レートはその日のうちに 140.30 円台まで下落。
為替介入から、たった 6 時間で 5 円以上の暴落となった…

その後、一度この介入劇を見た事が一般投資家の命取りとなった

ドル円は為替介入があった 9 月 22 日の NY タイムには戻りを試し始め、小幅ではあるが再び一貫して堅調に推移し始めた、一般投資家は介入が怖くて買えない、かといって再度売りに励む元気も無かった

反面、ヘッジファンドは円売りポジション(ドル円の買い)を頑なにキープしていた。

プロは買いをホールドし、一般投資家は手が出せない状況。

だが、ドル円は止まらない。
24 年振りに為替介入に踏み切った日本政府・日銀の思惑とは異なり、ドル円は超強力トレンドを再形成し始め再び 145 円に挑みかかった

大人しくしていた一般投資家だが、ここでまたドル円を売り始める
「前回介入レベルの 145.80 円。これ以上は日本政府・日銀サイドが死守するはずだ」

日に日に一般投資家のドル円売りポジションが膨らんでいく
下がらないドル円レート。

ドル円は前回高値の 145.80 円目前で多少はもたついたものの、殆ど下げる気配も見せず小幅な堅調傾向を維持し高値も安値も切り上げていく

そして、遂に 10 月 12 日の東京タイムにドル円は 145.80 円を上方向にブレイク。

この際、一般投資家はロスカットよりドル円の売りポジション追加を選択した…

そして…大きな節目の 150 円を目前にし一般投資家は
「150 円超えは日本政府・日銀が許さないだろう」と考えた

この時、一般投資家のドル円売りポジションは過去最大規模にまで膨らんだ

ところが、一般投資家の期待と思惑を裏切るかの様に9月22日の為替介入当日の反発以来、比較的小幅な堅調を維持していたドル円が上昇の勢いを強める事となる。

そして、一般投資家の売りポジションを狩にかかるかの様に、10月12日の前回高値145.80円台を上方向にブレイクしてから8営業日後の10月22日

一気に152円手前まで上昇を記録したところが、一般投資家の期待と思惑を裏切るかの様に 9 月 22 日の為替介入当日の反発以来、比較的小幅な堅調を維持していたドル円が上昇の勢いを強める事となる。

そして、一般投資家の売りポジションを狩にかかるかの様に、10 月 12 日の前回高値 145.80 円台を上方向にブレイクしてから 8 営業日後の 10 月 22 日
一気に 152 円手前まで上昇を記録した。

所謂バイイングクライマックスにより、これまで何とか耐えていた全ての一般投資家のドル円売りポジションを焼き尽くした。

奇しくもその数時間後…

また…このタイミングで…

一般投資家のドル円売りポジションが一掃されたのを確認したかの様に
日本政府・日銀によるこの年 2 度目の為替介入が実施された。

その後、ドル円相場は崩れに崩れた。

その後発表された米国の経済指標が予想を下回る様になり、ようやく各国中銀の引き締め効果が経済に波及した事が確認され、翌年の 1 月に 127.20 円台で底を打つまで、ドル円は 3 か月かけて約 25 円の下落を記録した。

あれだけ上昇時にドル円を売っていた一般投資家の売りポジションだったが

この大幅下落期間、一般投資家ポジションが売りに傾く事を見かける事無かった

一般投資家は売るのが早過ぎ、買う(買い戻す)のが遅すぎた
結果、安いところで売り、天井で買う格好となってしまった

これを見てどう思うかだが
もしかしたら「一般投資家は、なんてバカな事を」と思うかもしれない

だが、私は断言できる
「ある事実を知らなければ、自分も同じ行動をとっていただろう」

それは、

相場参加者の大半は勝ち続ける事ができない

という事実をだ

私の事に少し触れる。
私は、いわゆる「元」FX 業者の中の人だ
最終的には FX 業者のオーナー兼経営者にまでなった経験を持つ

FX 業者で従事している間、大変多くの投資家がボロ負けするのを目の当たりにしてきた

よく FX 業者は「お客が勝っても負けても手数料で儲けているから関係ないじゃん」と言われるが…冗談ではない!!

(FX 業者の顧客は「投資家」と表現する事が多いが、この物語では便宜上、「お客」または「顧客」と表現させて頂く)

その「お客」を、自分の「お客」にするために FX 業者は多大な広告費を掛ける。

また、広告の出来だけでは競合他社を出し抜くことができないため様々な企業努力を図る
金融機関というのは規制当局からその営業方法まで厳しい規制を受けているため様々な規制に配慮した営業方法で広告を打つ必要があり、時には法務面の専門家にもヒアリングを行う、そのため一般のそれと比較すると時間も費用も余計にかかる事が多い

FX の場合の自社の商品とは、取引プラットフォーム、レートやスワップポイント、約定力
こんなところだ(唯一の救いは当時プラットフォームはMT4一人勝ちの時代だったのでプラットフォームの競争の必要も余地も無かった)

従って、カバー先(FX 業者が顧客の注文を出す流動性提供者で銀行やそれに準ずる金融機関)とスプレッドやスワップの交渉に相当な骨を折り、より競争力のあるレートを獲得するため、カバー先にある程度の数字をコミットして良い条件を取ってきたり、カバー先から要望があれば欲しくも無い通貨ペアを追加して機嫌を取ったりと、カバー先とは、当時相当やり合った

要は時間とカネの賜物が、その自分の「お客」なのだ

手数料(正確にはスプレッド)でメシを食っている当時の私からすると
「お客」は永遠に相場に居続けて貰い、永遠に私に手数料を稼がせてくれる存在であって欲しい

勝って資産が増えれば、相場で張るボリュームも大きくなり、その口座から落ちる手数料も大きくなる

要は Win-Win の関係だ

「お客」が負ける事は世間のイメージする
「関係無い」事ではなく
間違えなく「損害」なのだ

苦労して、我が「お客」にしてもすぐ負けていなくなる…

また、最近では「のんでしまえばいいじゃん」という事も言われる。
これは所謂「ノミ行為」の事を指しているのだが

ノミ行為とは、お客の注文を市場に出さずに飲んでしまう
要は、お客の負け分がその業者の儲けとなり、逆にお客が勝った分はその業者の損失となる行為の事を指す。

確かに負け続けている我がお客。
飲めば、もしかしたら儲かるのかもしれない

だが、事はそう単純ではない。

金融機関というのは投資家との「利益相反」という事も厳しく規制されている。
お客のポジションを市場に出さないという事は、お客の逆のポジションをその業者が持っているという事になる。

簡単な話、その行為は自己勘定取引(勝手に取引していると理解して頂いていい)にあたり、それは証拠金とポジションを預かるという規制の枠から大きく外れ、リスクが膨大に膨れ上がるため、何段階も上のリスク管理が必要となり、市場との仲介者(ブローカー)という立場では無くなってしまう。

そもそも「投資家と市場の良き仲介者」を目指しこの FX 業者をスタートさせた私には、利益の源泉が異なり、その発想とは無縁の世界でもあった。

この説明は本題から離れる為相当はしおっているが、規制当局の管理下にある FX 業者は顧客と利益相反関係になる事を厳しく規制されていという事を理解して頂きたい。

とにかく私は当時、FX業者の経営者として、新規獲得のために時間とカネを費やす日々を送っていた。

お客が負け続けるため、新規顧客を取るために時間とカネを費やす日々だったが、ある時気が付いた

「お客が勝てばいいのだ、勝てないなら勝てる様に手助けをしよう、広告料よりこっちの方が効果があるかもしれない、お客が勝てば正にWin-Winじゃないか」

そこで、金融機関の先人達がアナリストを抱え顧客にレポートを送っている意味がようやく分かった

私はこれでも業界は長い、勿論売りたいものを買わせるレポートの存在も知っている

だが FX 業者にはそんなものは必要ない、何を買ってくれても何を売ってくれても嬉しい
大きい声では言えないが、とにかくバンバン取引をして大きく儲けて欲しかった

「勝って相場とウチの業者に居続けてくれ」これが本音だ!

その一心で、たまたま為替業界の先輩に紹介してもらった元大手外銀の為替のチーフディーラー(この人が歩いた後はペンペン草も生えないと言われた凄腕ディーラーだ)に金を払って、市況やリスク管理のレポートを書いて貰い顧客に配った(勿論銘柄や売り買いの推奨などはしない、やってるやつならこれである程度参考になるだろうという内容だ)

結果…特に変化はない
皆、自分なりの取引手法を持っており、レポートなど読みもしてないのだ

下手すりゃ「バカいってんじゃないよ」というクレームもあったぐらいだ

「こいつら…世界中でオレ以上にアンタ達を勝たせたいと思っている人間はいないのに」

という思いが込み上げてくる

結局、人は見たいものしか見ない、そして、人は自分の事を大切に思ってくれているのは誰なのか、意外と気が付かないモノだ、私もそれから気を付けている

もう、どうせ誰も勝てないんだから FX 業者なんて無い方がいいんじゃないか・・・?

毎月とんでもない金額がマーケットに吸収されていく
そう、毎月私の目の前を大金が通り過ぎていくイメージだ

私の会社が無くなれば、その分マーケットに吸収される金額が減るんじゃないだろうか?
いや、にっくき他の業者に持って行かれるだけで変わらないか…

それだったらこんなにお客が勝つことを望んでいる私の元にお客は居た方がいいか…
いや…それだったら…いや…それだったら…いや…それだったら…

と、悶々と考えながらも顧客を増やすこと、勝ってもらう事に汗水たらす日々が続いていた

そんな私にある出会いがあった

2014年の夏

舞台は勿論、運命の地シンガポールだ

 

第2話に続く

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ABOUTこの記事をかいた人

1976年生まれ、香港在住。 米国のアルゴリズムトレード格付け機関で分析を学び、30歳で金融機関向けコンサル法人を設立。ディーリングシステムやリスク管理、M&Aを手掛ける。その後、為替を中心としたヘッジファンドを創設し、英国で日本人独立系として初のFXブローカーライセンスを取得。3年半でバイアウト後、世界を旅するトレーダーとなる。現在は香港在住で愛妻・愛犬と暮らしつつ、FXブローカーやヘッジファンドへのコンサルを提供し、幅広い金融人脈を持つ。